以下、NYAJ創生のメンバーの一人である今村氏(横国→兼松OB)が、同じく創生メンバーである直井氏(慶応→ジャパンラインOB)
のご依頼を受けてまとめて下さったものです。
ニューヨーク・オール・ジャパン誕生の経緯
1986年5月に日本代表(当時はオールジャパンと呼ばれていた)が米国遠征を行い、第1戦をニューヨークで、EASTERN RUGBY UNION代表と行いましたが、
これを契機に、ニューヨーク在住の日本人ラガーマンをメンバーとする“New York All Japan”が結成されました。それまではニューヨーク在住の
ラガーマン相互の組織立った連絡は無く、この遠征をサポートする中でお互いを知り合うことになったわけです。
当時の日本代表のメンバーは(敬称略):
団長:横井 久(早大OB)、監督:宮地 克己(同大OB)
メンバー:林、平尾、大八木(同大)、小西(専大)、吉野(早大)、河瀬、藤田、太田(明大)、朽木(日体大)、向井(東海大)、中野、生田、村井、
若林、松永(慶大)、桜庭(新日鉄)らという顔ぶれで、その年の日本選手権で優勝した慶大のメンバーが多数選ばれていました。
団長の横井氏は1962〜1963年ニューヨークに留学され、Manhattan RFCに入ってキャプテンを務め、また1963年にはEastern Rugby
Unionの代表にセレクトされて、スタンド・オフでCanada Quebec州代表戦を戦っています。従って、このツアーは横井さんにとって古巣への帰還ゲーム
といった意味合いもあった訳です。(試合は残念ながら、ハイパントの多用を相手フルバックにカウンターされ敗北でした)
一方、迎える側の米国は、当地のMetropolitan New York Rugby Unionが受け入れの担当となり:
・ President : Kevin Holt (Union RFC 所属)
・ Fund Raising & Brochures : C.A. Jackson (Manhattan RFC 所属、通称Jacko −後述)
・ その他
という体制で臨みましたが、当時米国では(今でも同じかもしれませんが)、ラグビーは、完全にアマチュアの、自分達で楽しむゲームで、
したがって協会もお金は全く無く、一方、ホスト国での費用は一切ホスト国持ちという取り決めなので、Fund Raising は大変な苦労となりました。
当初、Jackoは当地の日本企業に頼めば何とかなると考え、動き出したようですが、アプローチの仕方が全く日本人の感覚にあわず、暗礁に乗り上げていた
ようです。
その時点でJackoより今村氏に相談があり、一緒に動き出しましたが、先ずお会いしたのが、慶大OBの直井氏(ジャパン・ライン)、楢岡氏(日本郵船)でした。
< STORY BEHIND >
今村氏は、1973年の一年間、兼松の駐在員としてニューヨークに駐在し、Manhattan RFCを知り、一年間フルにこのクラブの活動(ゲーム、
トレーニング、ソーシャル、イベント)に参加して、このクラブのお陰でラグビーの良さを満喫させてもらい、また、いまでも交信している良き友人を得ました。
Jacko(England人)はこのクラブのFOUNDERですが(New York RFCから別れて作った)、Manhattan RFCは、当時はOld Blue RFCを好敵手とする
強いチームで、クラブの雰囲気も素晴らしいものでした。Old Blueがアメリカ人を主体として、タフなゲームをするのに対し、Manhattan RFCはイギリス
系のメンバーを中心に、いわゆる本場のラグビーを志向するクラブでした。
今村氏は1984〜1987年の三年間、再びニューヨーク駐在員となり、10年前に一緒にやった人達と、これもJackoが作った “LES VIEUX”(英訳:
THE OLD)という年配チームで、更に三年間フルにラグビーをやりました。この時に、上記の日本代表の当地の遠征があった訳です。横井氏は、これは入っ
た後から知ったのですが、1962〜3年にこのManhattan RFCで活躍されたわけで、当時発展途上だったManhattan RFCへの貢献をJackoがよく
懐かしそうに話してくれたものです。
ここで狩野さんに登場願わないといけません。狩野さんはサンヨー・セミコンダクター・ニューヨークのTreasurerとして、1985年に赴任され、
あらかじめ横井さんより連絡を頂いていたので、早速Manhattan RFCに入ってもらいました。元オールジャパンということで、クラブのメンバーも大いに
期待し、ゲームに、また私道にと貢献して頂きました。
このような状況の時に、狩野さんにとっては、同志社及び三洋の先輩である宮地氏が監督として率いる日本代表が遠征してくることになり、二人で大いに盛
り上がったのを覚えています。
< END OF THE STORY >
このような経緯を経て、直井氏、楢岡氏、狩野氏、今村氏で日本代表の受け入れに向けて、本格的に動き出したわけです。
活動の基本戦略は、主として、お立場上(ジャパン・ライン 米国代表)お顔の広い直井さんの指揮を仰ぎ、NYの日本クラブも巻き込んで、お金の面のみならず、
選手のケアー等も含めて勢力的に活動しました。その結果、ゲーム及びその他のイベントも無事終了し、代表団を次の遠征地に送り出す事が出来ました。
この活動の過程で多くの日本人ラガーマンがニューヨークにいることがわかったのです。楢原氏、直井氏らから、クラブを作ろうという御発声があり、
皆も大賛成で、直井氏が初代会長、今村氏が副会長ということでスタートしました。
先ずゲームを組もうではないか、と言う事になり、相手はJackoに頼んで、ニューヨークのクラブからのピックアップメンバーで編成してもらい、
こちらも急遽ユニフォームを整え、場所は、Triborough Bridgeの下にある、Randall’s IslandのManhattan RFCのホーム・ピッチで第1回の試合
を行いました。(このピッチは今でも使用しているのでしょうか。懐かしい限りです)
当時のニューヨーク・ラガーは、スクール・カラーでしょうか、慶応OBが多く、この試合も、例えばFWは谷川氏(元日本代表、新日鉄)、楢岡氏(日本郵船)、
川崎氏(丸紅)、桂川氏(三井信託)等々。バックスは持田氏(現ゴールドマン・サックス)がスタンド・オフに入ってくれ、素晴らしいプレーをしてくれました。(ちなみにセンターは狩野氏と今村氏)。この親善ゲームは、ジャパンの勝ちで、緒戦を飾ることが出来たわけです。
第2戦は、直井さんに、ジャパン・ライン現地社員のMr. Wilks の所属するクラブのあるGeorgia州 Atlantaへの遠征を企画して頂きました。
このクラブ(“Renegades”という名前だったと思います)は、一本目を投入してきて、相当激しいゲームになりましたが、かなり負けたという記憶があります。
試合後のパーティー、各クラブ・メンバー宅へのホーム・ステイ、翌日のバスでの観光案内と、手厚いもてなしを受け、思い出深いツアーでした。
これを最後に、今村氏は1987年5月に帰国し、残られた方々に後を託しました。
その後、今岡氏(慶大OB、興銀)がニューヨークより帰国され、日本でも活動を開始し、ロンドン・ジャパニーズの帰国組とのゲームをしました。
現在、New York All Japan がNew Yorkで独立したクラブとして、立派に活動されていることは素晴らしいことです。
これからも、ゲーム面でも、ソシアル面でも立派に活躍されていくであろう事を切望し、かつ確信しています。
以上 今村 晋(横国大OB、兼松OB)